今回の目的の1つは「留学していた時の友人のナオキに22年ぶりに会うこと」でした。
彼との出会いは18歳の時 カリフォルニア大学の語学学校
彼と会ったのは、私が高校卒業してすぐに留学したアメリカはカリフォルニア州、デイビスの語学学校でした。
カリフォルニア大学のデイビス校にはエクステンションセンターという語学学校がありました。
私が語学学校に入学したのと同じ時期に、多くの学生が入学してきました。国籍はさまざまで、日本人も複数名入学してきました。そのなかの1人が、今回再会してきたナオキです。
私が一方的に思っていただけかもしれませんが、その当時から彼とは気が合いました。そのためか日本に帰ってきた後でも何となく気になり続けていました。
そんなある日。フェイスブックで繋がることになり、そこから連絡を取るようになり今回の再会につながったのです。
サンクゼールオレゴンオーチャーズ代表取締役
ちなみにナオキと出会った当初は、「実家が長野でワインを作っている」くらいの事しか知りませんでした。そして彼のフェイスブックのタイムラインを見てみると、彼の正体(別に悪いことはしていませんが)が分かったのです。
彼の名前は久世直樹。実家は長野でSt.Cousair(サンクゼール)を経営。現在全国的に150店舗以上の「久世福商店」及び「サンクゼール」を展開。そして現在彼は米国事業であるサンクゼールオレゴンオーチャーズの代表取締役社長。そしてサンクゼールの副社長。
「あらまぁ、そうなんだ。まぁナオキはナオキだけど。」
ちなみに久世福商店は、私の住む静岡県富士市の隣の町である富士宮市のイオンに店舗があります。あとは私の知る限りでは、JR静岡駅の中、さらには成田空港にあります。
※富士宮市のイオンモール内にある久世福商店
サンクゼール⇒https://www.stcousair.co.jp/
サンクゼールオレゴンオーチャーズ⇒https://www.stcousair-oregon.com/
久世福商店⇒https://www.kuzefuku.jp/
今回会ってみてやっぱり思ったのは、歳は互いに重ねたものの、「彼は彼だし俺は俺。あの時のまま。」なんですよね。
アメリカで一番住みたい街ポートランドへ
ちょっと話が反れてしまいましたが、という感じで彼に会いにポートランドに向かったのでした。
ポートランドへは成田空港から毎日直行便が1便出ています。ちなみにポートランドは「アメリカで一番住みたい街ナンバー1」とされているところです。これも今回ポートランドに行く目的の1つでした。
行きは9時間。帰りは11時間。腰痛持ちの私にとってはなかなかの苦行です。
行きの飛行機の中で私は色々な思いを巡らせていました。私にとって18歳当時のアメリカでの生活は特別なものであり、忘れられない貴重な経験でした。その経験が今でも活きいます。そんな中で出会った友人に22年ぶりに会う。
「どんな表情で会おう。何を話そう。」
その疑問に答えを出せずにいました。そして私の思いを代弁するような1つの言葉がポンと浮かんできたのです。
それは私の好きな映画「ショーシャンクの空に」のワンシーンです。
I hope I can make it across the border. I hope to see my friend, and shake his hand. I hope the Pacific is as blue as it has been in my dreams. I hope.
訳)私は望む・・・国境を越えられたらいい。私は望む・・・友達に会えたらいい。そして握手できたらい。私は望む・・・太平洋が夢で見たように青ければいい。私は望む・・・
ポートランドに到着 友人との再会に感動
成田空港を出発して9時間後、オレゴン州ポートランド国際空港に着きました。事前に到着日と到着時間をナオキには伝えてありました。
しばらくすると、1台の車が目の前に停まり中から彼が。
彼は颯爽?と車から降り、私を笑顔で握手し迎え入れてくれました。
ただただ感動です。何を言っていいのか分からなくなるってこのことだと思いました。ただ冒頭でもお話ししましたが、歳は互いに重ねたものの、「彼は彼だし俺は俺。あの時のまま。」なんですよね。
ここまでが今回記事にしたかった内容のため、後は簡単に書いていきたいと思います。
2日間ナオキの家に滞在 オレゴンを散策
今回ポートランドには4日滞在しました。そのうち2日はナオキの家に泊まらせてもらいました。部屋を1つ用意してもらい、奥さんも嫌な顔をせず出迎えてくれ本当にありがたかったです。
その日の夜はナオキ特性のステーキ。数日間ビールに付け込んだステーキ肉がニンニクやバターと絡み合い、美味。ポートランドの地ビールで流し込みさらに美味。
彼の子どもは私のところと同じく女の子2人。徹底しているなぁと思ったのは、ナオキが子どもと話すときには「日本語」。ちなみに彼の奥さんはベトナム系アメリカ人。ということで奥さんが子どもと話すときには「英語」。ということで子どもは2つの言葉を話す相手に応じて器用に使い分けているのです。
また彼の職場であるサンクゼールオレゴンオーチャーズにもお邪魔させてもらいました。成長著しい会社にお邪魔できるのは大変貴重な経験です。
ここではジャム、飲む酢、スムーシー、ドレッシング、パスタソースなどを製造販売しています。アメリカ国内での販売はもちろん、日本への輸出もしています。オレゴンにはブルーベリーを始めとする、おいしい果実が豊富であるのだとか。農場も近いので頻繁に農家と会ったり、フルーツの状態を確認しているのだそう。工場でも必死に作り手たちがジャム作りをし、感動しました。
翌日にはナイキの本社やマウントフッド(オレゴン富士と言われているらしい)周辺の散策にも連れて行ってもらいました。
※ナイキ本社
ナイキの本社はとにかく広大で、事前にナイキの創設者フィル・ナイトの著書「SHOE DOG」を読んでおいたからこそ、ただなんとなく見て回るだけではなく、いろいろ考えを巡らせながら見学をすることができました。有名な本ですので特に経営者の方は読んでみてください。
※マウントフッド
また、「オレゴン=大自然」というイメージがあり体験してみたいと思っていたのですが、マウントフッド周辺を散策することでオレゴンの大自然を満喫することができました。ただあまりにも広大であるため、まだまだ見ていない体験していない所も数多くあったと思います。
互いに目標や夢に向かって進み続けている
お互い22年の時の中で、違った環境でさまざまな経験をしてきました。いまではお互いに事業を行い、それぞれの目標や夢に向かって進んでいます。事業規模の違いはあるものの、何かしらの目標や夢に向かって動いているという点では共通していると思います。だからこそ話も弾んだと思うのです。
たった半年間ですが、アメリカという異国の地で過ごしたこと、そこでさまざまな人に出会ったこと、そしてナオキに会えたこと。これらは全て私の財産です。
どんなに時が経っても「よぉ、ナオキ!」「よぉ、トモ!」と互いに呼び合える仲でいられることが幸せだと思いました。
互いに家族を持っていること、互いに事業者として夢や目標を持ち進み続けていることに嬉しさも感じました。
この先も互いがどこにいようとも、どんな立場になろうとも、こうあり続けたいと思いました。